思いつくまま

あれから一週間

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東北関東大震災の発生から一週間が経ちました。

津波で破壊された町の残骸や被災した方々の様子を目にするたびに喉の奥が苦しくなり、涙がこみ上げてきます。
どんなに怖かったでしょう。そして今、どんなに不安な思いをされていることでしょう。

数日前、泣き腫らした目で、乾いた泥に覆われた手をただただじっと見つめる若い女性の姿をテレビで見ました。胸が締めつけられるような思いがし、今すぐ彼女のそばにいって、背中をさすってあげられたら、きれいな水で泥を流してあげられたら、と思いました。私にできることがあるのなら、行って何でもしたい、そう思いました。

でも、交通の分断などでそれが現実的ではない今、私にできるのは、被災地の方たちの安全を祈ること、家族から離れ命がけで被災者の救助や行方不明者の捜索、原発の冷却作業に取り組む方たちへ感謝すること、電気の無駄遣いにいつも以上に気をつけること、信頼できる機関・団体に募金をすること。平常心を保つこと。そして、被災地の方たちがいきいきと暮らせるその日がくるまで、忘れないことと、協力を惜しまないことだと思っています。


(昨年は夏頃から何かと落ち着かない日々だったので、半年以上も何も書けずにいました。そろそろ再開したいなと思っていたけれど、地震については多くの方が被災地域の方々の無事を祈る記事を書かれているので、いまさら私ごときが何をと思ったし、更新を自粛されている方も多いので、大変悩みましたが、この一週間考えていたことを文章にして残すことにしました。)





地震が発生した時、私は九段下のビルにいました。あまりにも長く大きい揺れに、机の下へ。壁にヒビがはいる音を信じられない気持ちで聞きました。揺れがおさまってから、壁のかけらがあちこちに散らばる階段を降りビルの外へ出ました。

地下鉄の最寄駅に着いたものの、安全確認に時間がかかり運転再開の見通しが全くたたない、というアナウンスを聞いて歩いて帰宅することに。家にいるはずの母と、一緒に晩ご飯を食べることになっていたSちゃんのことが気がかりでした。

途中、就職活動帰りの学生(なんと前々日に沖縄から上京したばかりだった)を日本橋まで案内したり、公衆電話の列に並んだりして、結局3時間くらいかかって帰宅。終電を逃してタクシー代惜しさに品川から歩いたことはあったけど、深夜に一人ですたすた歩くのと、前後左右に人がみっしりいる中を歩くのとでは大違い。茅場町で、ぶつかった女性が倒れたのに無視して歩き去る20代半ばの男性あり。女性を起こした後、そいつの背中を拳骨で殴りたい気持ちを抑えるのが大変だった。人はこんな時に本性が出るとつくづく思います。

帰宅後、居間で夕刊を読む。東北地方のあまりの惨状にショックを受け、無力感に襲われた。必死に歩いていたときは、こんなことになっているとは想像だにしなかった。新聞の、いつもなら旅行の広告が出ているあたりにふと目をやって更なる無力感に襲われた。現知事の再出馬表明。出ないようなことをほのめかしてたのに・・・。過去の暴言の数々(*)の記憶が甦り、これからまた似たようなことを聞かされる可能性があるのかと思ってがっかりする。

その数日後、まさかの「天罰」発言。甚大な被害を受けたのが東北ではなく東京だったとしても、同じことが言えるのか?瓦礫と化した町を、家族や友人を捜してまわる被災者にも面と向かって同じことが言えるのか?弱い立場に置かれた人々への想像力が著しく欠如した発言に、撤回・謝罪(初めて?)したとはいえ、はらわたが煮えくり返る思いです。

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by jewelled-apple | 2011-03-18 22:47 | つれづれ